おはようございます。
神谷です。
『ありがとうとお金の法則』を読んでから、いろいろ生き方がぶれているのではないかと、小林正観さんの本を立て続けに読みたくなってしまい、今回も、『宇宙を味方にする方程式』を紹介したいと思います。
なぜか歳を取るごとに美空ひばりが好きになる
物心つくと、美空ひばりさんは紅白歌合戦に出ていました。
確か、演歌の女王と言われていた覚えが。
子供ですから、演歌など自分の心に響くわけでもなく、美空ひばりさんが亡くなったと聞いても特に感じることはなく。
そんな感じでした。
しかし、歳を重ねて、時折美空ひばりさんの歌を聞くと、とても心に響く。
特に、『川の流れのように』を聴くとなぜか涙が出るような感情が・・・。
これは、自分が歳をとったのか、美空ひばりさんの歌が分かるようになってきたという事なのか。
そんな風に思っていたら、小林正観さんの『宇宙を味方にする方程式』に美空ひばりさんの話が載っていました。
美空ひばりの生き方
美空ひばりさんは4歳の時から、お金をとって歌を唄っていたとのことなんですね。
そして、家族を養い、関係者を養っていたそうです。
とくに、歌を唄いたかったわけではなく、自分のわがままも言わず、淡々としかし一生懸命に歌を唄って女王と言われるところまで上りつめたのです。
死が近づいても唄うことを止めようとしない。
その時のことが書いてありますので、引用します。
あと少しで死ぬかもしれないという状況になったときです。
秋元康という人が「川の流れのように」という歌詞を書いて他の歌手で出す予定だった。
美空ひばりはその歌詞を見て、
「この歌を私にちょうだい」
と言った。
万感の思いを込めて
「この歌を唄いたい」
と思ったのです。
その時は、もう命が風前の灯火だった。
死ぬ半年前から、美空ひばりは舞台に自分の足で立つことができなかった。
だから、緞帳(だんちょう)が下がっている状態のところに車いすで連れてきてもらって、そこで何人もの人の手を借りて立たせてもらった。
立たせてもらったら車いすは下がって、立った状態で緞帳(だんちょう)が上がった。
すると、歩けないはずだった美空ひばりが二時間ものステージで歩きまわって唄ったのです。
この死を間近にして美空ひばりが最後に歌った歌が「川の流れのように」です。
自分の意志で、自分のわがままで生きてきたのではない。
いつの間にか知らないうちに女王に祭り上げられて、すごい人と言うことになったけれども、彼女は自分のやりたいことを押しとおすために人をかき分け、押しのけて女王にのし上がったのではない。
やらされることを「はいはい」と言ってやってきたら女王と言われるようになって、歌謡界の頂点に立っていた。
それを思い出した時に、美空ひばりは本当に万感の思いを込めて、「川の流れのように」を唄ったのだと思います。
望まれたことを、目の前の人のために、淡々とこなしていく。
未来がどうなるかも考えていない。
今その時に生きる。
そんな想いがこの
美空ひばりさんが歌う「川の流れのように」にあるのかもしれません。
youtubeに美空ひばりさんの最後の映像がありました。
胸にこみ上げるものがあります。
小林正観さんの『宇宙を味方にする方程式』は、こちらからどうぞ。