おはようございます。
神谷です。
人は、生きる上でいろいろなスキルを学びます。
考えてみれば、「幸福になるスキル」って、すごく大事だと思います。
なんで、学校で教えないのでしょうね?
「幸福の形」「幸福の定義」
というモノが人それぞれだから教えられない・・・という事なのでしょうか?
しかし、このアランの『幸福論』を読むと、
「幸福になるための基礎的なスキル」
が分かると思います。
全ての人は幸福を目指・・・しているわけではない
ロランは、ドニを仕事でフォローしていますが、ドニ態度は治ることなく、また仕事の覚えも悪いということで、ついにドニはクビになってしまいます。
ロランはドニを励ましますが、ドニはそれを受け入れません。
悩むロランはエミールにそれを相談します。
エミールはロランに語ります。
ロラン君・・・ひとつ聞きますが、ドニは本当に幸福を求めていると思いますか?
私が思うに、彼に限らず人々は、苦しみを求め苦しみを愛しているように見えます。
不幸な出来事が起きたとき、人は襲ってくる「情念」を「意志」の力で抑制できるものです。
しかしたいていの人々は、自ら「意志」を捨てて「情念」に身をゆだねてしまうのです。
「意志」の力を奮い起こすより「情念」に身をゆだねる方が楽だと感じてしまうのでしょう。
さらに「情念」に支配されるとタチが悪くなります。
彼らは「意志」の代りに「情念」をふりかざし、どんな好ましい出来事も遠ざけてしまうものです。
自分の身を守ることを自ら放棄しておいて、ぶつぶつ嘆くのですからおかしな話です。
つまるところ不幸を強制しているのは社会でも環境でもなく、ほかでもない自分自身だという事です。
そして、このような「情念」に対抗するためには強い「意志」-自分が幸福になるという「誓い」がなくてはならないのです。
そう聞いたロランは、ドニをどうすればいいかと悩みます。
エミールはそうやって、考えすぎることも良くないとロランに語ります。
不幸なことを考え想像することが不幸になることだとエミールは言います。
じゃあどうしたらいいのか?
それは、考えられないほど忙しくなることだとエミールは言います。
確か、石井裕之氏の何かの音声データーだったと思いますが、同じことを言っていたことを覚えています。
「人間、暇になるとろくなことを考えない」と。
そんな人に、「スポーツでもしてスカッとしなよ」なんてアドバイスをしても、
「スポーツ!?君は他人事だから、そんなのんきなことを言えるんだ!!」なんて反論されてしまうのですね。
だから、仕事に悩んでいる人がいるのなら、その人にできそうなレベル、なるべく単純な仕事を強制して、考える暇も与えない。
家庭の問題で悩んでいそうな人でも、とにかく仕事をさせる。
とりあえずはこれでいいのでしょう。
不幸を感じなくなるくらい働く。
会社の友人が悩んでいたら、上司に相談して、何か仕事を与えてもらうようにするのがいいかもしれません。
「不幸」という話じゃなくても、これって役に立ちそうです。
たとえば、仕事に行き詰まって焦ったり、仕事の先行きの不安で焦って考えがまとまらなくなったら、とにかく単純作業を繰り返す。
単純作業でも積み重なれば成果になると思います。
そうすると、だんだん心が落ち着いてくるので、また冷静になれるんです。
焦りで考えがまとまらなくなったらおススメの方法です。
物語は、ロランも書店を辞めドニを誘って、金持ちの家で住み込みの使用人の仕事をに就くことにします。
家に帰る時間がないほどの仕事でとりあえず、不幸を忘れることに。
この先、ロランはどんな幸福になる方法を学んでいくのでしょうか?
次回につづきます。
ご購入の際は、こちらからどうぞ。