おはようございます。
神谷です。
以前の記事で、
ということを書きました。
言葉の遊びではありませんが、これは「不幸を感じない」ということを目的としたので、忙しくすれば幸福になれるわけではありません。
イヤイヤやる忙しさには幸せはない
ロランはエミールの「忙し人ほど幸福に近い」というアドバイスに沿って、使用人として忙しい日々をおくっています。
しかし、生活していく中で幸福感を感じることはなく、疑問が心に広がっていきます。
仕事が休みの日、ロランとドニの姉マリーと食事をすることになりました。
そこで、そのことをエミールに尋ねます。
そうすると、エミールは、
だだ、忙しいことがいいというわけではありませんよ。
労働はもっともいいものですが、もっとも悪いものにもなりうるからです。
人間の行動のタイプは主に二つに分かれます。
自ら進んで行うか、強制されて行うか、です。
これは仕事に限ったことではありませんが、人間は自ら進んでやることにもっとも心地よさを感じるのです。
職人や芸術家の多くを見ればお分かりでしょう。
彼らで成功を収められるのはごく一部でしかないはずなのに、それにもかかわらず生き生きとした人が多いのも自分の意志で行っているためです。
もちろん全員が付きたい仕事に就けるわけではありませんが、だからと言ってイヤイヤ仕事に取り組むべきではありません。
自らやりがいを感じる仕事であるならば仕事はもっともいいものとなりますが、イヤイヤながらやってしまうともっとも悪い奴隷的な労働に成り下がってしまうのです。
これよくわかるのです。
好きな仕事は何時間やっても疲れません。
しかし、気の乗らない仕事や、仕事は好きでもその場が嫌いなことがあると、すぐにくたくたになります。
イヤイヤ働いていては、幸福は遠ざかるばかりです。
そんな時は、自ら進んで仕事ができるような職種や職場を選びなおしましょう。
しかし、その仕事をやってみて気に入らなかったり、職場の雰囲気があわないからという理由で「すぐに」仕事を辞めてもいいものか・・・
最初から楽しい職場なんてない
とはいえ、自分が何をやりたいかが分からない人が多いですよね。
入った職場でいい人間関係が築けるかということはスグには分からないことも。
とりあえず入った職場は忙しいのだけれど、楽しいということも感じない。
幸せ感もないけどどうしよう・・・・と思ったときには、斎藤一人さんの話が役に立ちます。
人は仕事に呼ばれる。
だから、目の前の仕事を一生懸命やる。
そうすれば、それが天職になる。
という事なんです。
「天職」になるということは、自ら進んで仕事をやりたくなる、楽しくなる、という事です。
これは多くの場合、「当たり」だとおもいます。
しかし、やりたいことが無ければ、目の前のことをやるしかないのです。
それも、一生懸命やる。
一生懸命やらないと、仕事の面白さが分からないのです。
自分のことで恐縮ですが、私はコンピューターなんか触って事もない状態で、コンピューターの会社に入りました。
研修中、配属されてから1年くらい、それはそれはしんどかったです。
長い時間を拘束されるのもしんどかったですが、専門学校を卒業した年下の社員よりも仕事ができないことがあったのがしんどい。
しかし、1年半くらいやった時にだんだんわかってきて、だんだん楽しくなって、どんどんのめり込んでいきました。
あのころは、朝9時前から、夜の10時過ぎまで毎日のように働いていました。
今から考えるとよく続いていたなぁと思います。
「石の上にも3年」
というのは、幸福になるための方法の一つを語っていると思います。
最後に
ロランとドニの街は戦争、水害と不幸に見舞われます。
絶望したドニは自らの命を断とうと。
しかし、ロランはそれを許しません。
自ら危険を冒して、ドニを助けようとします。
エミールは絶望した人間に声は届かないと、危険を冒してドニを助けようとするロランを止めます。
しかし、ロランは、周りの人も幸せでないと自分も幸せではないことに気づき、ドニを助けました。
幸せは環境や他人がもたらすものではなく、幸福は自分の中にあるもの、そして自分自身で築き上げるもの。
しかし、自分一人では幸せになれない、そんなことを気付かしてくれるのが、『幸福論まんがで読破』です。
これで、ウォーミングアップができたので、この後には、アランの『幸福論』を読んでみたいと思います。
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